クライフからデ・ヨング
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デ・ヨングをFCバルセロナ加入は、既に現実となった。彼の到着により、クラブは、ヨーロッパで現在、最も成長が見込まれているミッドフィルダーを獲得したことになる。アヤックスからやってきた若干21歳の選手は、既にそのバルサのDNAあふれるプレースタイルを証明している。天分に恵まれたテクニックで、バックからコントロールするボール出しができる守備的ミッドフィルダーとしても通用し、再度やトップ下としてプレーできるキャパシティも兼ね備えており、絶妙なラストパスを送るスペシャリストでもある。
デ・ヨングは、クラブ史上における20人目のオランダ人選手となる。彼の到着と共に、FCバルセロナのプレースタイルの歴史を振り返るのは、義務だ。独自の魅せて勝利をあげるスタイルは、リヌス・ミケルスが70年代に監督として、選手だったクライフと共に打ち立てたものだ。その礎とメソッドは、常にボールを主役においたものであり、そのスタイルは、ユースカテゴリーにも、浸透している。
アムテルダム、バルサのDNA
また、当時、74年のバルサのサッカーは素晴らしかっただけでなく、14年間、リーグを制覇していなかったというネガティブな流れを断ち切り、また、世界がミケルスが率いて、クライフがピッチで主導を握ったオランダ代表にひれ伏したのだった。メカニックオレンジと呼ばれたオランダ代表は、二度に渡って決勝で破れた -74 年、 78年ワールドカップ- が、その機能的なトータルフットボールは、世界中を魅了したのだった。
数年がすぎ、そのモデルは、ヨハン・クライフがベンチに座ったバルサに継承された。そのプレイ、スタイルが進化し、ドリームチーム(1990-1996)が形成された。バルセロニズムにとって、初めてのウェンブリーでのヨーロッパ優勝 (1992)を果たし、リーガ4連覇を果たした時期でもあった。
FCバルセロナのここ30年間にわたるスポーツ面での成功は、一部はアヤックスによるものだ。オランダのクラブチームは、歴史的にヨーロッパのビッグクラブの一つと考えられている。欧州杯を4回制覇しており、そのユースから育った選手の多くがバルサにやってきている。
クライフが成功を収めた後、ライハールトが同じモデルに習い、パリでチャンピオンズリーグを制覇(2006)し、その一方で、グアルディオラがそのポテンシャルを更に昇華させ、4シーズンに14タイトルを獲得する史上最高の成功を収めた。そのタイトルには、二回制覇したチャンピオンズリーグ、 2009年 (ローマ) 、2011年 (ウェンブリー)も含まれている。多くの監督が、そのスタイルを継承したが、レオ・メッシがその旗手となった点は、誰もが共通している。サッカーにおいて、バルサのサッカーは、過去もそしてこれからも指針となっていくことだろう。この将来性あふれる若きデ・ヨングがやってきたことで、そのマジックは、これからも続いていくことになる。
クラブ史上のオランダ人選手 19人
オランダのプレースタイルを継承したFCバルセロナだが、それを証明するように、バルサのユニフォームを身につけたオランダ人選手の数は、19人ーデ・ヨングで20人目ー にのぼる。また、バルサ女子にも、オランダ人選手、リエケ・マルティンスがいることも特筆に値する。リストは下記から:
選手名 | シーズン |
ヨハン・クライフ | 1973-1978 |
ヨハン・ニースケンス | 1974-1979 |
ロナウド・クーマン | 1989-1995 |
リチャード・ビチュヘ | 1991-1993 |
ジョルディ・クライフ | 1993-1996 |
ミヒャエル・レイシハー | 1997-2004 |
ルウド・ヘスプ | 1997-2000 |
ウインストン・ボガルデ | 1997-2000 |
'ボロ' ゼンデン | 1998-2001 |
フィリップ・コクー | 1998-2004 |
パトリック・クライファート | 1998-2004 |
ロナウド・デ・ブール | 1999-2000 |
フランク・デ・ブール | 1999-2000 |
マルク・オフェルマルス | 2000-2004 |
ジョバンニ・フアン・ボロンクホースト | 2003-2007 |
エドガー・デイビッヅ | 2004 |
マーク・フアン・ボメル | 2005-2006 |
イブラヒム・アフェライ | 2010-2014 |
ジャスパー・シレッセン | 2016 - |
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