バルサと日本の歴史16章
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バルサは、リーガが一度、終了した後、日本へ遠征し、アンドレス・イニエスタとセルジ・サンペルのヴィッセル神戸を前に、6月6日に親善試合を行なう。バルサは、最後に日本を訪れてから、4年ぶりに日本の地を踏むことになり、17回目となる試合を行なう。
バルサ、日本で16試合、2度のクラブW杯制覇
日本における16回行われた試合のうち、6試合は、全て横浜で行われた3回ものクラブW杯での試合に相当する。最初の大会は、 2006年で、バルサは準決勝でアメリカ・デ・メヒコを下したポルト・アレグレを前に決勝で敗れた。
2回目、3回目の大会は、優勝トロフィーは、バルサの手に渡った。2011年は、アル・サードを前に準決勝で、サントスを前に決勝で勝利をあげた。そして、 2015年は、二試合とも3-0で制した。
準決勝では、広州蹴球倶楽部(当時は広州恒大)を前にスアレスのハットトリックで、決勝では、リバープレートを前に、再び、スアレスのダブルゴール、そしてメッシの1ゴールで試合を制したのだった。
プレシーズンに理想的なアジアツアー
その他の10試合は、公式戦ではなく、最初にバルサが日出づる国への遠征を始めたのは 1990年だった。その際、ほぼ続けて行われた2試合は、広島での試合が 1-1、東京では 2-4 の結果に終わった。
この最初の二試合の後、バルサが再び、試合を行なったのは、 14年後の 2004年アジアツアーであり、その際は、鹿島アントラーズを0-5で、ジュビロ磐田を前に 0-3で試合を制した。その翌年、再び、更に日本へ行き、3試合をおこなった。
最後の対戦相手は、同じくヴィッセル神戸
最初の二試合の横浜マリノスとの試合は、引き分け (3-3) 、浦和レッズダイアモンドには勝利 (0-3)をあげた。このツアーに関していえば、特別に日本のために行われたが、その1ヶ月後、アジアツアーで再び、日本を訪れ、そこでも横浜マリノスともう一戦交えたが、やはり、ドロー(1-1)で終わった。
アジアツアーにより、再び、日本を訪れたのは2007年であり、3度目の正直で、横浜マリノスとの対戦は、ジョバンニ・ドス・サントスのゴールで制した。その年以来、クラブワールドカップが行われた2011 年、 2015年を除き、バルサは、2019年 Rakutenカップの名の元に行われたツアーまで、日本遠征をしていなかった。そのツアーでは、チェルシーに 2-1で黒星を喫し、ヴィッセル神戸に0-2で勝利 した。その神戸のクラブとバルサは、再び、6月6日に対戦することになる。
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