ラドミール・アンティッチ、逝去
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4月6日の月曜日、本FCバルセロナの監督、ラドミール・アンティッチが71歳で逝去した。1948年11月22日に、ジティシュテ(セルビア)に生まれ、2003年のはじめ、ルイス・フアンハールを引き継ぐためにバルサにやってきた。
アンティッチは、 2003年2月2日にFCバルセロナの監督としての任務を引き継ぎ、 その際、リーガは15節目だったが、バルサは、チャンピオンズリーグの第二ステージにおり、良いポジションにいた。アンティッチは、バルサで公式戦24試合を率いて、その内訳は、12勝8分4負だった。カンプノウにいた時期は、短かったが、アディショナルタイムにカンプノウでユベントスに破れ、チャンピオンズリーグのベスト8でバルサが敗退したあと、UEFAカップの進出を決めた (リーガでは6位に終わった)。
その数ヶ月の間に、アンティッチは、シャビ、プジョル、ルイス・エンリケ、イニエスタ、ビクトル・バルデスなどの選手を指揮下においてプレーし、それに付け加え、クライファート、リケルメ、サビオラ、コクー、メンディエタなどのいるロッカーチームを率いた。彼が去った後、フランク・ライハールトが後任の座につくことになった。
選手、監督として、素晴らしいキャリア
アンティッチは、監督としてのキャリアを始める前は、選手として、ユーゴスラビア側で、ベオグラードに移籍する前に、FKスロヴォダ・ウジツェ (1967-1968)でプレーしてから、パルチザン・ベオグラード (1968-1976)でプレーした。ベオグラードでは、現在のバルサのバスケットボール監督、スベティスラブ・ペシッチがバスケットボール部門でプレーしていた。 1976年に、フェネルバッチェ (1976/77)と契約し、その後、2年間をサラゴサ (1977-79)で過ごし、5年間をイギリスのルートン・タウン (1979-84)でプレーした。
監督としては、アンティッチは、パルチザン・ベオグラード (1985-88) でスタートし、続けてサラゴサ (1988-1991)、レアル・マドリード (1991-1992) やオビエドを率いた。1995年、アトレティコ・マドリード (1995-98)で、リーグ優勝、国王杯制覇の二冠 (1995/96)をもたらし、最高の栄光を手にした。アトレティコを二度 (1999 、2000) 、オビエド (2000/01)を率いた。バルサを率いた後は、セルタ (2004)を率いて、セルビア代表監督も勤めた (2008-2010)他、中国で2チーム、山東魯能泰山足球倶楽部 (2012-13)、河北華夏幸福足球倶楽部 (2015)を率いた。
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