セティエン、魅惑的なミッドフィールダー
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もしかすると選手として最後の数試合となったレバンテでの姿が記憶されているかもしれない。しかしキケ・セティエンは出身地のチーム、ラシン・デ・サンタンデールで一時代を築いた。しかしプロサッカー選手としての19シーズンのうち12季をサンタンデールのチームで過ごした。それ以前はカサブランカ、ペリネスとビーチサッカーをしていた。
クライフからサティエンと続くマジック
キケ・セティエンは偉大なるヨハン・クライフの支持者で、そのボールタッチとレベルの高さがその証明となっている。その出で立ちが選手、その後の指揮官としての正確なまでに示している。セティエンは創造的なプレーを得意とするミッドフィールダーで、フィジカル的に恵まれていたとはいえ1980年代から90年代にかけて足元の技術で能力を発揮していた。「セティエンは高いレベルで抜きに出ていた。高い技術レベルと得点力、ヘディングシュートが得意だった」と元バルサ選手で、ログロニェスでチームメイトだったサルバドール・ガルシアは振り返る。
ラシンのサポーターはすぐにチームに定着したアイドル選手のプレーを満喫した。その活躍からルイス・アラゴネス率いるアトレティコ・マドリードへ加入。中心選手となりスペインスーパーカップを獲得した。マドリードクラブでの3シーズンのあと、ログロニェスで4年を過ごした。この時セティエンはバルサから2ゴールを挙げた。最初はログロニェスの選手としてカンプ・ノウで挙げたもの。もう1点はラシン選手としてエル・サルディネロで5−0と勝利した時のことだった。
カンプ・ノウで一つの時代の最後、そして新たなスタート
セティエンにとってラシン選手として最後の試合は1995/96季のバルサ−ラシン戦で、1−1で終了した。バルサ新監督は最後の10分でプレー。さらに1部リーグ選手として最後のプレーでもあった。その後現役引退までをレバンテで過ごしている。
25年の年月を経てセティエンはカンプ・ノウで新たな時代をスタートさせる。今回はホームチーム指揮官としての滑り出し。その喜びと強いサッカー的なパーソナリティをファンに浸透させることになる。
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