2006年3月21日: フリックがバルサの監督になりたいと決意した日

2006年3月21日: フリックがバルサの監督になりたいと決意した日

現在のバルサの監督は、Spotify カンプノウでヘタフェに大勝した試合を見て、「いつかここでコーチしたい」と口にした

5月29日、ハンジ・フリックは、公式にFCバルセロナの監督となった。それから2ヶ月もたたずして、ドイツ人監督は、クラブの日々のアクティビティに関わるようになったこの最初の数週間を振り返るために座り、バルサとの関係についてのディテールやいつかバルサの監督になりたいと決意した日のことについて語った。

フリックが見たヘタフェ戦での逆転劇

それは正確には 2006年3月21日 のことだった。その日、バルサはヘタフェを3-1で破り、41歳になったばかりのフリックはその日、ナイキからの招待を受けて、この試合をメインスタンドで見ていた。「私は23年間以上、スポーツショップを持っていて、常にナイキに招待を受けていた。なぜなら、当時、5、6年間、ドイツでスポーツ用品販売のトップを誇っていたからだ」とフリックは、 Barça One(バルサワン)の独占インタビューで語った。


「いつかここでコーチをしたい」

その時のことをフリックは、回想し、「それはベルナン・シュスターのヘタフェ戦で、私は "いつかここでコーチをしたい" と言った」なぜ、そこまで明確な考えを持ったのかを理解するには、その当時に戻り、バルサについて振り返る必要がある。あの素晴らしいチームはのちにパリでチャンピオンズリーグを制覇することになるが、あの日のバルサ対ヘタフェ戦は、まさにお祭りだった。マドリードのチームは、ナノが試合開始から5分でゴールを決め、難しい試合だった。だが、ライハールトの率いるバルサは、ジュリが引き起こしたオウンゴールによりドローに追いつき、その後、後半、ハングリー精神にあふれるサミュエル・エトーが追加点をマークしたのだ」

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ロナウジーニョのパーティのゲスト

あのバルサは、次点のレアル・マドリードに勝ち点14点さをつけて、リーガで圧倒的な首位の座を手にしていた。また、バルサファンを喜ばす試合は、毎回、パーティのようだった。また、その日は偶然にも世界のベストプレーヤー、ロナウジーニョが26歳になった誕生日だった。カンプノウでの逆転の日、スタジアムは彼に "ハッピーバースデイ" を歌って祝い、ロナウジーニョはゴールこそ決めなかったものの、ピッチでショーを新たに見せて、素晴らしいスキルを披露し、あの有名なスマイルでサポーターに応えたのだった。

エトーとプジョルの素晴らしい夜

この夜のもう一人のスターは、サミュエル・エトーだった。カメルーン出身のストライカーは、この日、単なる勝ち点3を超える2得点をマークした。最初の得点はリーガにおける100ゴール目であり、その後、彼は貪欲さを発揮し、101ゴール目をマークしたのだ。フリックがバルサパーティの雰囲気を感じたのは、それに止まらなかった。この日は、カルラス・プジョルがトップチームでの200試合目を達成したのだった。

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ハンジ・フリックがバルサに魅了されたのには、多くの理由があった。彼が「ここでコーチしたい」と口に出してから18年が経過し、そして今、彼はここにいる。

Força Barça
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