エリック・ガルシアと冨安健洋、バルサアカデミー初のオリンピック選手
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バルサアカデミープロジェクトから、今週の金曜日に日本の首都で行われる東京オリンピック2020に初参加だ。この名誉を分かち合うのは、FCバルセロナのトップチームの選手、エリック・ガルシアーマシアでプレーする前に、2008/09年 旧FCBEscolaバルセロナ校に在籍― そして、現在、ボローニャFCで活躍している元バルサアカデミー福岡校出身の日本人ディフェンダー、冨安健洋だ。
この両者が、オリンピック前に神戸で行われた親善試合(1-1)で顔を合わせているのは、興味深い。
エリックと富安のオリンピックデビュー
スペイン、日本代表とも今週の木曜日、東京オリンピック2020のグループリーグで五輪の初戦を迎えた。
グループCのスペイン代表は、札幌にてエジプトを前に戦い(0-0)、日曜日にはオーストラリアと同じ舞台で戦い、その後、埼玉で28日(水)にアルゼンチン代表と対戦する。
一方、グループAの日本代表は、南アフリカを前に木曜日に勝利(1-0)をあげた後、日曜日には埼玉スタジアムでメキシコを前に戦い、最後の試合をフランスを前に横浜で戦う。各グループから2チームがベスト8に進出する。
バルサアカデミーでの足跡
よって、バルサアカデミーは、東京五輪のエリック・ガルシアと冨安健洋の試合をより、パッションを持って、追うことになるだろう。
バルセロナで、エリック・ガルシアは、2008年9月にバルサ・エスコラ・バルセロナのダニ・アウベスチームの一員として、最初の瞬間から、際立つ活躍を見せていた。
その間、マシアの育成から呼ばれ、練習に参加し、翌シーズン、選ばれて、ベンハミンBに入った。そこで、元バルサの選手、エイドゥル・グジョンセンやデ・ラ・ペニャの息子、アンディ・グジョンセンやイバン・デ・ラ・ペニャジュニアと共に過ごした。エリックは、その学びへの姿勢及び生まれついてのリーダーシップで、プレーした全カテゴリーでキャプテンを務めることになった。
当時の旧FCBエスコラのコーディネーター、イニャキ・アンドレウは、「彼を率いた監督は、みんな常に彼がチームメート全員wp参加させ、助けとなり、その成熟さと年齢に不釣り合いなリーダーシップの キャパシティについて話していた。彼は私たちの若い選手に伝えたい価値観と私たちの特徴であるプレースタイルにおいて、明白な好例だ」と話した。
マンチェスターシティに去ってから4年後、エリックは、クラブに戻ってきて、バルサエスコラ出身でFCバルセロナのトップチームでデビューを果たした5番目の選手となった。
他方、冨安健洋は、エリック・ガルシア同様、ディフェンスのポジションを務めており、また、最初、日本のバルサアカデミー福岡校でのキャリアを積んでいる。福岡校は、日本のバルサアカデミー、葛飾校、奈良校、横浜校と共にあるバルサアカデミー4校のうちの一つだ。
バルサアカデミー(当時の名称はバルサエスコラ)で過ごした後、富安はアビスパ福岡のユースに移り、そこでたった17歳でJリーグデビューを果たした。
サッカー選手としてより上を目指し、富安はベルギーのシント・トロイデンに移籍し、ヨーロッパへ居場所を変える。その後、セリエAのイタリアのボローニャFCに移籍し、そこで近年2シーズンを過ごしている。現在、22歳の富安は、来季、欧州のビッグチームで過ごすことを夢見ている。また、富安は20歳だった2019年、アジアカップベスト8の試合で、ヘディングシュートを決め、日本代表の進出に貢献し、ヒーローとなった。
バルサアカデミー福岡校は、 2009年に開校し、バルサアカデミーの中でも、もっとも長いスクールの一つであり、そのキャリアにおいて、2011年にMICにキャプテンとして参加したことがあげられる。
バルサアカデミー福岡校のイバン・パランコディレクターは、「健洋は、全てを兼ね備えていて、ポリバレントな選手で、Jリーグよりも要求度が高いリーグでプレーできるレベルを手にしていた」と話し、その性格については、「とても控えめでまじめで、向上心の強い選手」だと表現している。
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