新会長プロフィール

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ジョアン・ラポルタは、クラブの最高役員に 2003年に選ばれた後、再び、選挙に勝った

1962年6月29日、バルセロナ生まれ。3人の息子の父親であるジョアン・ラポルタは、バルセロナ大学で法律を専門として学び、バルセロナのアバット・オリバ大学CEUで、企業法及び税務の専門家としてマスターを終えた。 Laporta & Arbós Advocats Associats弁護士事務所の創設者会員であり、誉高いバルセロナ弁護士協会の一員であり、他にリュック財団法人のエグゼクティブコミッションやヨハンクライフ慈善財団法人のパトロンなどの役職を持っている。

ラポルタは、FCバルセロナの会長として、2003年6月そして2006年夏に選挙で選ばれた。ラポルタは、クラブに若手役員のジェネレーションとしてやってきて、新風を吹き込んだ。クラブを経済的に社会的により強力にし、スポーツ面でも可能な限り強くし、社会でのインパクトを強めるために務めた。

スポーツ面では、7年間の間、サッカーのトップチームは、二度のチャンピオンズリーグ、4回のリーグ優勝、国王杯1、クラブW杯1。欧州スーパー杯1、スペインスーパー杯3、カタルーニャ杯3などをもたらした。また、クラブのプロセクション4つ(サッカー、バスケット、ハンドボール、ホッケー)の全部門で優勝したことは、筆舌に値する。

経済・社会面 でも、特筆すべきものがある。予算は、1億7000万ユーロから、4億555万ユーロになった。ソシオの数は、106.135人から、173.701人へと増加した。

ジョアン・ラポルタは、スタジアムにおける暴力撲滅のリーダーだった。FCバルセロナが、平和、ソリダリティ、民主主義、個人、団体における自由の騎手であり、それは、伝統的にクラブが意義を見出しているエッセンスだ。

「クラブ以上の存在」のスローガンと共に、ジョアン・ラポルタが行なったことの一つは、UNICEFとの協力に合意したことだ。ユネスコまたは国連難民高等弁務官事務所とFCバルセロナ財団法人を通して、世界中に XICSセンターを開設した。 UNICEFとの合意という歴史的なサインをニューヨークで2006年9月に行ない、FCバルセロナは、経済的に児童保護のアソシエーションに経済協力を行ない、また、サッカートップチームのユニフォームには、そのアナグラムが入った。これは、バルサがクラブ以上の存在であることを世界に知らしめるためのストラテジーを強化したいという過去にない試みだった。

バルサの会長としての時代を終えた後、ラポルタは、政界に進出することを決め、2010年7月にカタルーニャの民主的、ヒューマン主義、進歩派で、個々、団体での人間としての権利を守る Democràcia Catalana(デモクラシア・カタラナ)を立ち上げた。ジョアン・ラポルタは、2010年11月から2012年までカタルーニャ州議会の議員をつとめた、2011年5月から2015年5月まで、バルセロナ市役所の市議会議員だった。

Força Barça
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