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レオ・メッシのFCバルセロナのデビューから20年

2004年10月16日、リュイス・カンパニスオリンピックスタジアムが、大会で史上最高の選手が登場した最初の舞台となった

10月16日は、100年を超えるサッカー史の中において、普通の日ではない。それがFCバルセロナを愛する全ての人々にとっては、より尚更だ。今から20年前のこの日、レオ・メッシが、バルサのユニフォームを身につけて、公式戦の最初の試合をプレーしたのだ。そして、その第一戦目から始まり、その数字は778試合まで続くことになった。正確には2004年10月16日から2021年5月16日、彼がバルサの選手として戦った最後の日までだ。

モンジュイック、歴史的な舞台

ほぼ、17 年間にわたるこの長い歴史の中で、当時、RCDエスパニョールのホームだったリュイス・カンパニスオリンピックスタジアムが全ての始まりとなった。それはリーガ7節のバルセロナダービーであり、好調な両者が対戦した。バルサはリーガ首位を走っており、一方のエスパニョールはマラガと勝ち点で並び、チャンピオンズゾーンの5位の位置を占めていた。

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負傷欠場選手のせいで僅差リードだったバルサ

しかしながら、当時のバルサは、ジェラルドやジュリといった選手が負傷欠場、エジミウソンやジョルケラも違和感を引きずっている状態で、ダービー戦を迎え、フランク・ライハールトは、当時のバルサ・アトレティクから5人の選手を招集し、ベンチメンバーを揃えざるを得なかった。そのうちの一人が、当時、17歳になったばかりで、背番号に30番を背負ったレオ・メッシだったのだ。試合は、デコが前半9分の早い時間に先制点をあげたものの、スコアボードはそこから動かなかった。時間が過ぎ、後半22分にサミュエル・エトーを休息させるために最初にピッチに交代要員として入ったのは、アンドレス・イニエスタだった。

メッシ、デコと交代してデビュー

そして、後半37分、メッシに出番が回ってきた。ライハールトは、デコをベンチに引き上げ、代わりにアルゼンチン人選手が入った。彼の特徴の一つである右サイドからのプレーをみせて、勝利を確実にするためにチームのバランスをとった。そのわずかな8分間にアディショナルタイムを加えた時間が、メッシに公式戦への扉を開き、そこから全時代、歴史を通して最高の選手が生まれることになったのだ。

比類なき存在 

バルサでのキャリアを通して、公式戦778試合 に参戦し、 672 ゴールをマークしたことが、チャンピオンズリーグ4回、リーグ優勝10回、国王杯9回、スペインスーパー杯8回、欧州スーパー杯3回、クラブワールドカップ3回、そして、バロンドール6回(全キャリアにおいて8回)をはじめとする数えきれない個人賞をバルサで持ち上げることになったのだ。

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